山間の地であるため交通の便は悪く、明治30年代に南の加茂町から当村(山野村)田原へ里道が開通したことにより、荷車での物資輸送が可能となった。大正12年には当村と岡山県井原の間に、同14年には福山との間に定期自動車を走らせ、昭和9年にはこの間で井笠鉄道バスの運行が開始された。 山野村の頃には村役場が置かれ、村の中心地であった。明治24年の戸数546、人口3,182人であった。 連続した街並みは形成していない。