明治43年字古市に家畜市場を設立、定期市の開設によりにぎわう。大正初期には備後絣を取引する問屋が出現し3〜5軒の店が大阪・京都・名古屋へ出荷、次第に販路を拡大。昭和期に入ると従来の絣・紺反に加え広幅織物を生産、さらに縫製業へと転換する。