広島藩最北端の宿駅、新市駅には伝馬7匹が常置され、東は出雲路の比和駅、南は雲伯路の宮内駅とそれぞれ14km、北は国境を越えて出雲国阿井駅と13kmで結ばれていた。また国境には国境番屋が設けられていた。この地域は、広島藩有数の砂鉄生産地帯で、元和5年には藩内生産高の53%、7,092貫を占めていた。明治44年にはなお539駄、1,517円の生産をあげていた。しかし、その後は次第に洋鉄におされ、大正初期にその姿を消した。
大正14年には、本誓寺前に共楽座が建てられ、万才や浪曲、無声映画が上映された。また、共楽座の後、昭和25年に、高野劇場が西町に建てられ、映画、演劇が興行された。
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