1600(慶長5年)年福島正則の領国となり、その重臣の尾関正勝により、三次の礎が築かれた。その後浅野氏の所領となり、三次支藩となり、三次のまちづくり、曲輪と称せられた大堤防の築造に尽くし、積極的な殖産興業に努め、三次の発展させてきた。 三次本通りは、明治から昭和40年代まで老舗が軒を連ね備北地方で最大の商店街であった しかし、今は、その面影はほとんど感じられません。