北は鳥取県日南町と接する。
標高は700メートルを越え、スキー、夏山登山で有名である。江戸時代には、伯耆路の三坂宿としてできた市場である。
開村の功労者村廻北村源之丞の開基碑は、のち拝殿が建てられ北村神社となった。村域はもとは小奴可村に属し、三坂野と呼ばれた原野であった。寛文4年藩が開田を計画し12年間で計画を完了、延宝3年の地詰で高200石余(39町2反余)と定めた。
鉄穴(砂鉄採取場)の数は安永9年7、嘉永年間7.猫山は莫大な木炭を供給した。伯耆路が抜け、三坂宿は文政年間には長さ2町26間余、家数24、番所も置かれていた。
|