1633(寛永10)年幕府が初めて派遣した巡見使を迎えるため、広島藩は稲草村に茶屋をを設け、接待の準備を行った。この巡見使の巡察を契機に、道路網の整備が進み、稲草は福山と出雲を結ぶ出雲路の宿駅として交通の要地となった。