西城川の源流域で、標高500m前後の高冷地。「芸藩通志」に「小鳥原村或は神鳥の字を用ふ、「しとと」とよむなり」とあり、「しととばら」と呼ばれていたと思われる。 天樋鈩・小坪鈩・灰谷鈩などで要する木炭・砂鉄、生産された銑の駄送や炭焼などが重要な産業であった。 明治20年代には灰谷鈩、同44年あづま鈩、大正3年頃鋳鍋谷鈩が廃業。大谷山鈩は大正9年まで経営、大谷山の高殿は昭和4年まで残っていた。