西城の地は、古くは奴可郡とよばれ、タタラ製鉄が盛んに行われてきた。芸藩通誌によれば「当郡第一の産業、諸民これによりて生活するもの多し」と記されている。西城を訪れた時、土地の古老から、「昔は芸子が40人以上いた。賑やかなもんじゃった。」と聞かされた。芸子が40人もいた街、現在とは想像もできない経済力のあった街なのだ。