神流川を挟んで南北に小集落が点在している。 地名の由来については、木曽義仲の四天王、今井四郎兼平の遺児が郎党と乳母に付き添われて当地にたどり着いて住みつき、乳母が乙母へ、郎党(男子)が乙父に土着したことによるといわれ、また一族が落人として逃れて来た地が乙父であり、お供として来た者の住みついた地が乙母であるとも伝承される。乙父・乙母とも今井姓が多い。