街並みめぐり
                                                                          

街並みの名称   白井(しろい) 地図
 所在地  渋川市白井
 訪問日  平成29年10月16日


 町の起源は室町時代、白井城の城下町である。沼田へ4里8丁、中之条へ5里、前橋へ4里8丁、渋川へ2里と交通の要衝の利点を活かした市場町への更生は、もっとも当を得た生き残り策といえよう。
 取り扱われた品目は、馬草・薪・材木をはじめ、麻・繭糸・木綿・真綿・煙草・塩・茶・水油・米麦・豆のほか、ひな市など時季のものと多岐にわたり、その商圏は三郡二十四か村に及んでいたという。

 元禄131700)年時点で酒造りが五軒あった。主に露天商であるが、経済の発展とともに大通りに面して家並みが構成され、他村では宿と呼ぶ者もいたほど賑わったが、三度にわたる(江戸中期・文久2・明治31)大火で家並みの大半が焼失し、武者返しの遺構もほとんどなくなってしまった。

 いまの街並みの中で、土蔵造りの家並みが残っているのは豊嶋屋と薬種屋の二軒である。豊嶋屋は江戸時代を通しての豪商で、二十四文の私鋳銭を通用させていた。酒造・質屋も営み、幕末時には生糸で横浜貿易にも参画している。また、打ちこわしにも遭い、?(うだつ)付き長屋門(延享2(1745)年頃建造)も傷められ、その傷跡が今も残っている。天保8(1837)年建造の三階建土蔵は現存し、薬種屋の土蔵も豊嶋屋の長屋門と同じ頃のものと思われ、市の日には土蔵の下屋の真中の戸を開けて補気竜勢円などの家伝薬を販売した。
(渋川市 現地説明板)


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