大屋山の東、底瀬川左岸に位置する。江戸期は幕府領。「元禄郷帳」では、六車村の枝村としてみえる。上底瀬より下流にある。 耕地は狭いため、林業が主産業で、山村地帯である。家屋の形状から見ると養蚕が盛んであったと思われる。