明治期から多野郡上野村と塩沢峠と塩沢峠を通じて交流が深く、奥多野からの農林産物の集積地として、また下仁田からの物資の中継地としての機能をもっていた。このため宿場的色彩が強く、宿屋・飲食店・米穀店・呉服屋・金物屋・菓子屋・鍛冶屋などが立ち並んでいる。