街並みの名称 | 島村 | 地図 |
所在地 | 伊勢崎市 | |
訪問日 | 平成29年10月19日 |
生業は農業を主としたが、川中の村であったため、毎年のように水害や川欠を繰り返し周囲の村との境界争いが絶えなかった。このように農業が不安定だったため、島村川岸が設けられ、次第に舟運業を主とするようになり、村の大半が舟運に携わり江戸を往来したという。元禄5年船頭の守り神大杉大明神が奉祀された。また早くから耕土に適した養蚕が盛んになり、さらに江戸後期には養蚕製造が起こり大きな業績をあげた、従来上州は奥州・信州種に占められていたが、島村種と呼ばれた蚕種がこれを駆逐した。農家の大福帳によれば、年間種場上りと称する蚕種代収入は50両前後で、養蚕長者と呼ばれる豪農が続出した。同時に舟運業に携わる者も高収入を得て、経済的に豊かになった。 幕末に海外貿易がはじまると蚕種輸出は頂点に達したが、粗製乱造による蚕種の氾濫によって蚕種販売は混乱して明治期に至った。 明治43年の大水害により利根川中にあった前島がなくなり、住民は両岸に移転した。 |
田島弥平旧宅 |