勝常寺は、大同年中空海の創建と伝えるが、徳一大師の開基寺であろうとする。江戸期の勝常寺村は本寺の寺領である。 天正の伊達氏侵攻により寺勢は衰えて、伽藍を失い、金堂・薬師堂・観音堂・仁王門・別当本坊を残すのみとなった。 旧態の伽藍配置は不明だが、仁王門に通ずる参道に面する民家のある付近は往時の院坊跡とされ、弁天堂・十王堂・智徳寺・願成寺などの字名があり、鎮守山王社がある。 会津中央薬師といわれる金堂は、会津五薬師(東方慧日寺、西方日光寺、北方漆の大正寺、南方火玉堂、別説あり)の中央に当たるとする。