会津藩領。笈川組に属す。村内を通る米沢街道は慶長年間以降街道となり、当村に宿駅が置かれた。日橋川には享保年間頃から船着場があり、対岸の塩川には船政所が設けられた。また、村内には関東屋という屋号をもつ問屋があった。馬市が享保年間以降明治初年の頃まで毎年秋に行われた。郡役所が当村に置かれ、沼上村、耶麻郡小田付組小田付村、五目組上三宮村、熊倉組熊倉川村の各村に置かれた代官所を管轄した。 町場化が進み、交易・輸送・宿舎提供などで生計をたてる者が多かったという。