中通り南部、久慈川西岸に位置する。寛永年間に関河内村が、上関河内村・下関河内村に分村して成立したという。地名は中世には河内の里と称されていたが、のちに関が設けられ、関河内となり、関河内村が分村する際、小田川の下流に当たったことによる。 中央を南北に走る常陸太田街道沿いに人家が並び、天明8年に巡検使藤沢要人ら124名が宿泊した記録が残る。
現在の街並みは、国道349号から外れて旧道となり、国道と並行に走っている。家並みは緩慢な間隔をしているが、家の並びは宿を思い起させる。宿の中央付近には、長屋門や立派な門構えの家がある。