街並みめぐり
                                                                          

街並みの名称   須賀川 地図
 所在地  須賀川市本町
 訪問日  令和5年11月1日


 戦国期には二階堂氏の小城下で宿駅機能をも果たしていた。天正18年末から同19年にかけて、須賀川城跡に町割りを実施して近世的宿駅が成立した。町割は4町からなり、城跡の中央を南北に奥州街道を通し、搦手跡に下宿村の商人を中心に移住させて北町とし、二の丸跡に中宿村の交通業者を中心に中町を形成し、旧城下町であった古町を本町と改称、時宗金徳寺の門前町を道場町とした。

 宿の出入り口に黒門が建てられ、その内側に枡形を設置し、家並みの西側には欅の並木が植えられた。問屋ははじめ中町にあったが、慶長3年の訴訟により本町・北町へも設置され、その後、道場町にも置かれたと推定される。本陣は享保121軒、嘉永5年に3軒とある。 

 現在の街並みは、須賀川市役所の東側あたりに残っている。この地域には「南部地区まちづくり協定」が締結され地域資源として風情のある建物当を保全・活用している。この中に土蔵造りの商家がある。

 同じくこの地域に、松尾芭蕉は弟子の曾良とともに訪ねた軒の栗通りの「可伸庵」が跡として残っている。芭蕉は須賀川には7日間滞在したと記録されている。 


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須賀川の街並み


 
 土蔵造りの商家  
   
 
   
 奥の細道ゆかりの「可伸庵跡」
   
ウルトラマン(円谷英二監督の故郷) 


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