江戸期の下野街道(別称南山道・中奥街道・会津西街道・日光街道・今市街道)の宿駅。はじめ会津領。寛永20年からは南山御蔵入領。楢原組に属する。
大内・田島の中間にある宿駅として栄えたが、寛政元年に60戸焼失の大火があった。化政期の家数72軒。