宿の成立は、天正18年豊臣秀吉の奥州仕置の際、芦野駅と白川の間が長いため、白坂を駅場と定めたのがはじまりであったという。
宿の街並みは、南北に4町30間余、本陣・脇本陣ともに1軒、旅籠屋27軒あったという。