江戸期の越後街道(別称会津街道・会津通り佐渡路)の宿駅。 江戸初期に会津藩が郡中の駅所を書き上げた駅法記に見え、南8町余の場所から移動したと考えられる。化政期の家数98軒、継立ては上りは1里29町3間の野沢宿、下りは8町13間の下野尻宿へ送る。
大正3年新津〜野沢間の鉄道開通に伴い、上野尻駅が開設、同駅は群岡地区の玄関であるとともに、柴崎の渡船を通じて、耶麻郡新郷村の玄関ともなった。明治15年、21年、33年に大火があった。当地は養蚕が盛んで明治末期には郡内有数の蚕業地であった。