街並みの名称 | 白髭 | 地図 |
所在地 | 二本松市太田 | |
訪問日 | 令和5年11月3日 |
かつて、人々の暮らしにかかせない大切な塩は、人の背や馬の背で、山を越え、野を越えた。奥州西街道(本宮〜相馬間)も寛文3年(1663)二本松藩、相馬藩によって開道された公道であり、白髭問屋遠藤家に伝わる「安永4年諸荷物請立帳」「安政5年同」の二冊によって全貌が明らかになった。 参勤交代の相馬候や漁船が難破した琉球人(沖縄県)が、江戸屋敷の島津家臣に連れられて通ったり、中国ゴビ砂漠の駱駝(らくだ)が見せ物として通り、幕末には、塩や魚介類の他にも石灰や焔硝まで運ばれた。 戊辰戦争では多くの白髭の人たちも軍夫として、二本松・会津若松まで荷駄の輸送にあたった。 殿様の常宿、本陣佐藤家をはじめ屋並が連なる白髭宿は、中山道の馬籠・妻籠宿そして安藤広重の東海道五十三次を思わせるものがある。白髭神社・地福寺・二三夜塔・旧上太田小学校跡など、ここ「白髭宿」は歴史とロマンの里である。(現地説明板より) |
白髭の街並み |
倉の多い街並み | 本陣 |
宿の中心部 | |