中通りの中部、阿武隈川の支流藤田川下流北岸に位置する。奥州街道の宿駅として栄えた。 郡山から1里3丁、本宮へ2里15丁の距離にあった。産業は、鋳物の適地で二本松藩の御用鋳物師として鐘鰐口などの銅製品、鍋・釜などの鉄器の生産が盛んであったが、明治中期頃衰退した。
街並みは、土蔵造りの3階建ての建物や兜造りの屋根などに、宿場の面影を見ることができる。