会津地方北部、阿賀川と一ノ戸川の合流点付近に位置する。会津藩領、木曽組に属する。
越後街道の裏街道に沿って形成された街村で西側に広野村が続き、一村のような形となっている。化政期の家数31軒。米倉が3屋あり、2屋は社倉、1屋は木曽組の米を納めた倉であった。