江戸期の米沢街道の宿駅。化政期の家数169軒。宿は、古町・中町・新町・新丁からなり、上りは若松城下へ3里4町余、下りは熊倉宿へ1里28町を継ぎ送る。宿の成立は慶長13年で、蒲生氏から文書が与えられている。 従来の道筋のかな川通りを廃して塩川を通る道が本道になったのは、当地が蒲生氏の蔵入地になったためで、宿駅としての機能は慶長7年に条々を検断に命じているから、その頃であろう。