江戸期の米沢街道の宿駅。化政期の家数92軒。上りは塩川宿へ1里28町余、下りは大塩宿へ1里12町余を継ぎ送る。
慶長6年5月、蒲生氏より検断物江氏に宿駅設定の文書が下され、同11月に5・11の六斎市が開催された。同12月の覚によると同族的集団姓の宿民は検断に対して宿駅設定・六斎市開催への礼、優先的荷物継立の承認など種々の特権を認めている。