会津地方中部、猪苗代湖の北西岸、赤井川流域に位置する。古くは中村といったという。地名は、村の穴切坂のふもとにある井戸が赤い水であることに由来する。化政期の家数は本村54軒・下窪新田4軒・廻戸新田5軒・桂沢新田12軒、慶長年間糠塚に新田を開発し足軽を置いたが間もなく若松に移した。当村は白河街道の宿駅であった。