江戸期の下野街道(別称南山道・中奥街道・会津西街道・日光街道・今市街道)の宿駅。 氷玉峠の北側にあたる。「民居処々にありしを、寛永十八年此処に聚め駅所とす」とあり、南山通りの宿駅整備によって寛永18年に設定された。宿勤めは上りは若松城下から当宿へさらに当宿から2里18町で大内宿へ送り、下りは当宿から19町先の福永宿へ継いだ。 戊辰戦争では会津軍と新政府軍との合戦場となる。