会津地方中部、藤川川東岸に位置する。会津藩領。橋爪組に属す。村名は文治5年信夫郡藤田から藤田忠重が来て柵を築いたことに由来するという。小名に梅津がある。
化政期の家数は本村35軒・梅津2軒。慶安4年下野裏街道の駅所となり、若松から来て市野村に継いでいる。