江戸期の越後街道(別称会津街道・会津通り佐渡路)の宿駅。 慶長16年の大地震で越後街道の勝負沢峠が通行不能となり、代わって鐘撞堂峠を開削して本道にしたため、坂下宿とともに新しい宿駅となった。 化政期の家数8.8軒、人馬継立ては上りは29町45間の舟渡・片門両宿、下りは21町40間の坂下宿へ継立て、ほかに沼田街道の柳津宿へ2里3町40間余を継いだ。