小石原焼は、陶工柳瀬三右衛門が藩主黒田宣政に上申した「小石原由来」によれば、健治年間までさかのぼるというが、その起源は明らかでない。 また、天和2年枝村中野村へ肥前伊万里より陶工を呼んで伊万里焼にならった陶器を作らせ、これも小石原焼あるいは中野焼と呼ばれた。享保3年には小石原村の陶工数人を早良郡鹿原に移して、西皿山とした。