江戸期は小倉藩領に属する。小笠原時代に入ると築城郡の郡屋が置かれ、また松江・八屋とともに宿駅が設けられ設けられた。元禄7年当地を訪れた貝原益軒は当地のことを「上野新町より四里東にあり。海に近く漁魚多し」と伝えている。(豊国紀行) 椎田港は築上郡西部の海運の基地、交通・経済の中心地として繁栄した。