街並みめぐり
                                                                          

街並みの名称   大牟田  地図
 所在地  大牟田市
 訪問日  平成28年2月14日


 三池の近世史上最も画期的な出来事は、石炭の発見とその開発である。石炭の最初の発見は、室町中期の文明年間(146987)、三池郡稲荷村の一農夫伝治左衛門が、山中での焚火の中から、「燃ゆる石」を見つけたのに始まると伝えられている。(石炭山由来記)

 三井三池炭鉱は、日清・日露両戦役を背景とする明治政府の富国強兵策の中で、めざましい発展を遂げた。従来の坑口のほかに、明治22年の勝立抗に続き、宮原抗(同28年)・万田抗(同38年)・四山抗(大正7年)など次々と新抗を開いたが、明治24年には九州鉄道(現鹿児島本線)久留米〜高瀬(玉名)間が開通し、同24年には有明海岸に閘門式の三池築港が竣工して、石炭の輸送機能も一段と拡大した。太平洋戦争の末期には、ほとんど生産不能といわれるほどの打撃を受けていた。

 昭和28年の朝鮮動乱終結後の不況到来を契機として、すでに進行しつつあったエネルギー革命の影響が顕然化し、三井鉱山は大幅な合理化を迫られるに至った。これが頂点に達したのは、昭和3411月における三池労組員2,219人の首切り勧告に発する労働史上空前の三池争議であった。経営の合理化は鉱山のみにとどまらず、関連各企業とも人員整理・操業短縮・配置転換が進行し、その結果人口の流出を招き、市の人口は、昭和34年の208,887人をピークとして、以後、毎年減少の一途をたどった。


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旧三井港倶楽部 


 
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