近世初期の田主丸は、土豪の森田丹後(長芳)が、慶長19年に初めて怒田(ぬた)〜吉田間の豊後街道筋の藪林吉瀬名を開拓して、長さ125間(225m)の街道宿場町を建設したことに始まると伝えられる。 今日、当初の産業の中核をなす植木・苗木産業は、元禄年間(1688〜1704)から藩の殖産興業政策と相まってその基礎がつくられたといわれている。