町名は、町沿いを流れていた白谷に発する川にちなむという。 明治末期頃から白川町と通称しており、大正11年八幡製鉄所の元本事務所が完成し、町が整備されると1〜3丁目に分割された。3丁目は製鉄所官舎建築予定地として整備されたというが、大正6年頃に白川遊郭が設けられた。なお遊郭は公娼制度の廃止により消滅した。