江戸期は小倉城下の1町。小倉城の北に位置し、紫川の河口左岸から西へ270m余にわたって町家が続く。細川氏の時代は諸町と称したが、小笠原氏の時代からは室町になったという。長崎街道が通り、常盤橋(大橋)を経て東曲輪に至る。