慶長5年黒田長政が筑前に入国、幕末まで福岡藩領であった。津屋崎浦は博多の外港としての役割も担っており、近世後期には戸数316戸で筑前最大の浦となり、「津屋崎千軒」と繁栄をうたわれた。 津屋崎浦は、漁戸・商戸が混在し、東古小路町・西古小路町・北本町・上本町・横町・浜町南・下魚町・上魚町・上船津町・下船津町が町立されていた。