地名の由来は、畦の多い田が広がる宿場町であったことによるという。筑前街道の宿場町で、藩の奨励のもとに櫨実・綿・椿などの集荷・販売が盛んであった。 明治22年鉄道が開通し、旧街道の宿場町としての機能を失いさびれた。