甘木は、幕府領日田に通じる街道の宿駅として筑前二十一宿の一つに数えられ、また、秋月や久留米などにも通ずる交通の要衝である。 朝倉地方だけでなく、博多などから物産が集積される流通の中心地であり、安長寺の門前に始まった九斎市では生蠟や鋳物、海産物などが取引され、特に豊後、筑後などは当地で海産物を求めたという。 大火も発生し、元文元(1736)年にほぼ全域に相当する523軒が焼失した。