街並みめぐり
                                                                          

街並みの名称   内子(八日市)  地図
 所在地  喜多郡内子町
 訪問日  平成21年7月18日


 内子は近郷の農村を対象にした市町として発展してきた。
 内子が発展したのは、宝暦41754)年大洲藩の許可を得て芳我弥三右衛門が晒蠟の技法により製蠟を始めたことによる。良質の白蠟を開発し、大正の末年にパラフィンに押されるまで、内子は全国一の蠟の産地として繁栄し続けた。 内子の市街は大きく分けて丘陵部の護国と八日市、平野部の六日市と廿日市の街並みである。町の中心は南西へ移動しつつある。

 内子の町は、江戸時代中期以降、町並みを焼き尽くすような大火は一度もなかった。また、町の中心軸が順次南へ下がったため、常に新しい街区が加えられ、江戸時代末期から明治年間にかけて経済的に恵まれており、建物の質のよかったことなどから町全体に江戸時代以降の家並みをたくさん残している。内子の町は、江戸時代から昭和初期頃までの町屋の宝庫である。


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八日市護国の街並み


 八日市護国の街並み


 
 八日市護国の街並み(六日市から八日市への坂道)


 
 八日市護国の街並み



   
   
   
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