松丸と吉野は、それぞれ宇和島藩と吉田藩によって計画的に設定された町場であった。江戸期にあっては、それぞれ土佐との取引の基地として、また在郷町として栄え、かつての家並みは、現在でも残されている。 明治維新後も、この両町の役割に変化はなく、県道宇和島中村線の中間点として、また、宇和島を結んだ在郷町としての性格を強め、特に松丸には、昭和初期まで製糸工場があり町場として70戸余の商家があって繁栄した。