町の北方海上1q、宮窪瀬戸の中央に周囲720m、面積8haの能島と周囲240mの鯛ア島がある。ここは、ひうち灘と斎灘を結ぶ重要な地点で能島城があった。城は海面縄張りの一部とされており、能島には、本丸、二の丸、三の丸と出丸、鯛ア島には出丸と見張場があり、両島は桟橋で連絡されていた。周囲各所に当時の石垣列、岩礁上には桟橋跡と見られる480個の柱穴が見られ、全島に矢竹が茂り、陶磁器、銅鏡、古瓦、古銭、焼米、女性の髪飾などが出土する。