藩政期第4代藩主津軽信政は、屏風山への植林造成と相まって積極的に新田開発を推進した。現千代町に新田役所(のちに代官所)が設けられ、開発の中心地として発展した。 村名は、二代藩主津軽信政枚が亀ヶ岡に築城を企てた時、泥道で物資の運搬が困難のため、木材を敷いて道をつくったのが起源という。(西津軽郡史) また、馬市としても栄え、寛政期の三大馬市は、青森、弘前、木造であったという。