弘前藩が成立した江戸初期には、未開発の土地である。「西津軽郡史」によると開発時期は、元禄2(1689)年以降である。 稲垣村の村名には、春は早苗の香りに旭を仰ぎ、秋は豊かな稲穂が黄金の垣を築く米の産地として、永久に繁栄する願いが込められている。(津軽郡史) 岩木川の下流にあり、標高の低い湿地帯で総面積の74パーセントは水田で、県下一の米所といわれている。