戦国時代末期、南部氏の台頭とともに三戸城は南部氏の居城となり、藩政時代初期には、その城下町としてとして発達した。城下の盛岡移転後も、三戸代官所の所在地として地方政治の中心地となった。また三戸通の物資の集散地として交易の中心地となり、奥州街道沿いにあたるため宿駅としても栄えた。 八日町地区は、商店街で第二次世界大戦までは、「こみせ」があり、賑わっていたという。現在は昔の面影はない。