戦国期には、由利郡12党の中心的な存在である仁賀保氏の本拠地であった。江戸期には、由利郡仁賀保地方に陣屋を持った旗本仁賀保氏の領地となる。 平沢港は、東西100m、南北35mで深さ1.8m。西北の風に良い港で、1年間の入港船数50艘(100石積以上の船)余りで、米を積み出し、塩・綿・砂糖を受け入れた。 三森港は、東西110m、南北90m、深さ1〜1.8mで、西南の風に良い港で、入港船数60艘余りで、平沢港同様の商品の出入りであった。 両港には、斎藤市兵衛・泉屋市郎兵衛・増村与左衛門らの奈良屋・北屋と名乗る廻船問屋がいて、当地方における商品流通の担い手となった。