盛岡藩が支配のため設けた行政単位の一つで毛馬内通といわれる。 慶長2(1597)年から12年にかけて毛馬内東側に柏崎館が築城され、城下町として発展しました。多くの集落が、曲がりくねった道に沿って作られましたが、東西南北に方形に通りが作られ、職種によって居住地が割り当てられる等計画的な街並みが創られました。