四間道の名の由来は、元禄13(1700)年の大火後、四間に拡幅されたことからきたものとされている。 堀川の河岸には、舟で運ばれる品物を納めた蔵が設けられており、町屋はこれらの蔵と道を隔てて向いに会うように建ち並んでいた。 その多くは、堀川の水運を利用し堀川筋商人と呼ばれた人々の営む問屋で規模も一般に大きかった。 これらの土蔵の裏の道が四間道と呼ばれる道なのである。