当地方は、土質、気候などの自然条件に恵まれて農業生産の高い地域であった。ナス、ダイコン、ゴボウ、ニンジンなどの野菜の生産が有名である。 また、全国的に有名な産物に苗木がある。マツ、スギの苗木を中心に矢合村一帯で栽培された。
稲葉宿は、家数336軒、人口1,572人、旅籠屋8軒、本陣・脇本陣各1軒、問屋場3箇所がありました。(天保14(1843)年) 本陣である小沢村の原所次右衛門の家は、門構、玄関付で建坪133坪(約439u)、脇本陣である稲葉村東町の吉田又吉の家は、門構、玄関付で建坪70坪(約231u)でした。 稲葉村西町の西問屋場は、原氏と伊東氏が交代で勤め、稲葉村東町の中問屋場を伊東氏、小沢村の東問屋場を原氏があずかり、一問屋場二日交代で勤めたといいます。宿場の長さは、8町21間(約911メートル)でした。